サイトの品質に限界はない
ひそかな自信はあった。しかし結果は、審査落ち。はて、続けるべきかどうか。以下に、わたしの考えを述べたいと思います。
・審査者はサイレント・マジョリティ
まずは、持っていたひそかな「自信」について、よくよくと見直すべきです。
「いい」と思っていたのは、単純にあんただけだった、というケースが多いからです。
(そんなこたない。メールなどで「いいサイトだ」と言ってくれたよ)と、反証を挙げるかもしれません。
しかしながら、わざわざメールまでしてくるのは、コアな一部のファンの感想であって、一般的・全体的な評価ではありません。
訪問者のほとんどは、沈黙の人々です。一部を以って、全部の意見としてはなりません。
審査人は、サイレント・マジョリティの側に立つことを、憶えておきましょう。
・審査者は目が肥えている
申請者より推薦を受けたWebサイトを審査する人々は、基本的に、Webへの目が肥えています。
何が流行で、どういう構成、どのようなレイアウトがよいのか、よく知っているわけです。
毎日、数十数百以上の申請を受けてきたら、そら、目も肥えていくでしょう。
また、審査者1人が、1つのカテゴリを担当している、と決まっているわけでもありません。おそらく、2つ3つ以上のカテゴリを担当しているでしょう。つまり、その分だけ、多種多様のジャンルの「サイト」に精通しているというわけです。
おそらく、Webの歴史なんてものを書く人は、おそらく、ヤフーのサーファーといった審査に携わってきた人であるかと思います。
まさに、生きたデータベースモドキであります。
わたしたちは、申請されたサイトを審査する人たちに、ある程度の想像を働かせておくべきです。彼らは、決して「素人」ではないのです。
審査者は目が肥えているがゆえに、審査がいたずらに「厳しくなる」わけではありません。価値のあるサイトは、穏当に登録・掲載されます。しかし、少なくとも「やさしく」ないことを憶えておくべきです。
・結局、まだまだ
サイトが審査に落ちる原因は、いろいろと考えられます。申請文や付記、コメントの書き方が良くなかった。書式を守っていなかった、筆足らずだった、などなどです。
それか、扱ったテーマが、あまりにコアで、ドマイナーなために、ある程度の一般性と客観性が求められる審査者の側には、そぐわなかったことも考えられます。
とはいえやはり、落ちたのは、サイトが力足らずであったと考えるのが、最も正解に近いと思われます。
客観的に見れば、『まだまだ』であったのです。登録する価値があったのかどうかといえば、『なかった』のです。
・落ちる可能性のほうが高い
どういう意味で「力足らず」なる言葉を使っているのかというと、それは、カテゴリなりディレクトリ内での話です。
自分では十分に内容があるといっても、既存のカテゴリに、それ以上のサイトが登録されているのなら、よほどのコンテンツがない限りは、審査には落ちるでしょう。
また、既存のカテゴリでは、もう既に「席」が埋まっていることも考えられます。大家がひしめき合っていて、もはや、そのテーマについては、骨までしゃぶられており、新たなテーマが生まれようとも、即、大家に取られてしまい、新規に突っ込む余地もない、なんてことも考えられます。
こうした事態にあると、カテゴリやディレクトリに登録・掲載されるのは、実に、厳しいでしょう。
・止める・諦める
審査に落ち続けたのなら、以降の申請を止める・諦めるのも、1つの手です。
「見えざる手」が、お前の才能はそこで伸ばすものではない、なんて示唆しているかもしれません。
そう思うなら、自分がもっと伸びるところで、頑張るべきでしょう。何度も失敗するのは、それを止めるべし!という啓示でもあります。
そのカテゴリへの掲載は諦めて、どこか他のカテゴリに目標を変えるのも、良いかと思います。
・止めない、諦めない
逆に、止めない・諦めない選択も可能です。
「見えざる手」なんて妄想、知ったこちゃない。おいらは経験主義者なのでな。てな感じで、サイトの登録・掲載を諦めず、コツコツコンテンツの質と量とを追求していく道もあります。
それも、よいでしょう。ただ、コンテンツに何の手も加えないのに、申請だけするのは効がないので、念のため。
おそらく、そのコンテンツの追求の果てには、最悪、カテゴリやディレクトリには掲載されなくとも、他の相互リンクや通常の検索エンジン、お気に入りからの大量のアクセスを呼び込むことでしょう。
多くのサイトに影響を及ぼす「大家」となれば、カテゴリのほうから、登録を申し出てくるでしょう。
・どちらを選ぶ
どちらを選ぶべきかは、個々人に委ねられるものです。どちらも正解です。
おいらはいま、力足らずだけど、将来的にこれは重要なテーマとなる。続けてみよう。と考えることもできます。
こんなにいいサイトがあるのだから、おいらが入り込む余地なし。他に活路を求める。と考えるのも妥当です。
『どちらを選ぶか』-はっきりいって、わたしの知ったことではないし、あなたが「飛ぶ」ところなので、わたしにとっては、どうでもいいことです。
・個人的な意見
わたし個人としては、続けたほうがいい、と思います。
指針も目標も何もないWebサイトの運営は、多くが滞ります。つれづれに自由に書く日記の更新がすぐに止まるのも、そのためです。
カテゴリ・ディレクトリへの登録というのは、目標・目的としては、非常に明白であり、結果が目に見えるので、がんばりやすいといえます。
目標や目的、もっといえば、夢や志、切実さのあるサイトには、「骨」があります。その存在は、色々とWebサイトを見ていけば、わかるように思います。
「骨」のあるサイトになるためにも、目標や目的を持っておくのは、有用な更新手段・コンテンツの追及動機になるかと考えます。
・壁は、もう2つ3つある
教訓めくことを偉そうに垂れるわたしですが、審査に落とされ続けてブチ切れたこともあります。
「勝手にしやがれ、たーけ」と、ディスプレイの前で鶏冠に来たことがあります。
しかし、いまから思うに、その「切れ」が、新たな活路を開いたなあ、と思っています。
いったん頭に血が登る躁状態になると、あとは、何時になく冷静になる鬱状態になります。
こういうときなのでした。サイトの新方針というか、ネタというか、テーマが生まれるときは。
「ここはこうしよう」とか、「ここはこういじろう」とか、「こういう新しさを付け加えよう」とか、「このサイトのレイアウトをインスパイアしよう」とか、こーいうこともできるし、あーいうこともできる、なんて風な「次なる手」が生まれてきた、といった塩梅です。
他のページでも述べていますが、新しいこと・これまでにないことは、登録・掲載される可能性は大です。
ということは、それらさえ思いつければよい、発想できればよい、と相なります。
本格的に登録や掲載を目指すなら、「ブチ切れ」る壁が、あと2~3回はあると思われます。無いことを祈ります。
ブチ切れるくらいに執着するからこそ、これまでにない、アイデアなり発想が生まれるのでは、と今更になって感じます。
カテゴリやディレクトリに掲載されたといっても、今となっては、劇的なアクセス増は見込めません。
それらは単なる通過点にして、もっと先にある「もの」を、目指すべきではないかと思います。
・サイトの質に限界は
推薦や登録に際し、登録料や掲載料、審査料がかかるわけでもなし。基本、タダ。
Webサイトの運営に際して、1日当たり数万・数十万の金利負担がかかるわけでもなし。
負債を抱えるわけでなし、赤字が出るわけでなし。
Webサイトを追求するのに、過大なコストがかかるわけでも、また、作成するサイトは、負担するコストに比例せずともよいわけです。
Webサイトは、意外に数少ない、質を追求できるものであります。
自分とこはこんなもんだ、と思えばそれまでですし、そこで終わるのもよき判断です。
でも、追求できるのであれば、また、追求に際して、資本コストがかからないのであれば、つまらない限界や天井を設けることなくやってみるのも、人生の一興かと思います。




